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エノラ・ゲイ元航空士が遺した、原爆の「過ち」と誓い

広島に原爆投下のB29に搭乗

 70年前の1945年8月6日、人類初の原爆が広島市上空でさく裂した。投下した米爆撃機B29「エノラ・ゲイ」の搭乗員12人のうち、最後の生存者だったセオドア・バンカーク氏が昨年、93歳で死去。上空から惨状を目撃した証人はいなくなった。当時24歳で原爆投下機の航空士を務めた同氏は戦後、原爆と戦争について何を考え、どう生きたのか。生前のインタビューに遺(のこ)した言葉をもとに振り返った。

原爆使用を正当化

同氏には2007年から13年にかけて毎年、米ジョージア州アトランタ郊外の自宅で話を聞く機会を得た。最初のインタビューで、広島への原爆投下は必要だったのかと尋ねると、「原爆は戦争の終結を早め、多くの人の命を救った。投下せずに、本土上陸作戦を実施していたら凄惨な戦いになっていただろう」と投下の正当性を強調した。原爆の衝撃が日本に降伏を促し、戦争が続いていれば、焼夷(しょうい)弾による都市空襲や45年11月に計画されていた本土上陸作戦などで生じたであろう膨大な犠牲を未然に防いだという論法だ。

以降の取材で「ソ連の参戦のみで日本は降伏していたとする主張もある」「天皇制の存続を保障すれば、日本はもっと早く降伏し、原爆も本土上陸も必要なかったという見解もある」などと尋ねると、「そういった議論はよく耳にするが、日本が降伏したかどうかは分からない。今となってはすべて臆測にすぎない」と退けた。

「奪った命より多くの命を救った」として原爆の投下を正当化する同氏の論理は、トルーマン大統領はじめ当時の米政府幹部が示した公式見解と同様で、その後の取材でも一貫してぶれることはなかった。

原爆による死者数ははっきりしないが、広島市の推計によると、45年末までに約14万人に上った。爆風や熱線などに加え、急性放射線障害による死者数が膨らんだためだ。

原爆被害を拡大させた放射線の影響について、同氏は「当時はほとんど知らなかった」という。「当初、科学者たちは放射線による被害をきわめて過小に見積もっていた。それが分かってきたのは数週間後だった」と振り返った。ただ、放射線の影響が判明した後でも「原爆の使用は、戦争を終わらせ殺し合いを止めたという点で、正しかったと思っている」と語っていた。

気の毒「sorry」と 謝罪「apology」の違い

広島で被爆した個々人に対しては、最初の取材時から「気の毒(sorry)なことをした」と語っていた。ただし、「日本の国に起きたこと全体としては、気の毒とは思わない」とも付け加えた。

批判の矛先を当時の日本の指導者に向け、「日本は少なくとも6カ月前には降伏しているべきだった。空軍力も海軍力も失い、勝つ見込みが全くなかったことは、軍も分かっていたはずだ。日本の指導者がなぜかたくなに降伏を拒んで戦争を続け、国民をこんなひどい目に遭わせたのか理解できない」と憤慨していた。

「気の毒(sorry)」という言葉の意味合いを確かめるため、「個人に謝罪(apology)しなければいけないという意味か」と尋ねた。同氏は「謝罪とは違う」と答え、「もし謝罪すれば、(勝算がない戦争を続けた)日本の指導者が果たした役割についてまで責任を負うことになる」と説明した。

「同じ過ち」を繰り返さないために

2010年、生存していたもう一人のエノラ・ゲイ搭乗員が死去し、同氏は「最後の生存者」になった。90歳を前にしても近隣の学校へ出向いて若者に戦争の話をしているという同氏に「最後の一人になって、戦争について伝える責務は前より重くなったと感じるか」と聞いたところ、答えは「同じ」。「学生に話をするのは、彼らが同じ過ち(the same mistake)を繰り返さないために、戦争で何が起こったのかを伝えるためだ。彼らが将来、原爆を落とさないように」と、淡々と語った。

「同じ過ち」という言葉が気になって、2013年に改めて原爆について学校で語る理由を尋ねたところ、やはり「我々が(原爆を使用するという)『同じ過ち』を繰り返さないようにするためだ」と強調した。

その際、「1945年8月に広島に原爆を投下したことを『過ち』とは呼ばないでしょう?」と尋ねると、同氏は「具体的なケースではなくて……」と少し言葉に詰まった後、「原爆は当時、戦争を早く終わらせる手段だった(ので「過ち」とは呼ばない)。今は原爆がどれほど致命的かよく知っている。だから絶対に使ってはならない」と続けた。

広島への原爆投下を正当化しながらも、同氏の頭の中のどこかで「原爆投下」と「過ち」という2つの言葉がつながっていたのだろう。同氏は「戦争の終結という同じ結果を得るために、原爆を落とさなくても済んでいればよかったのに」と漏らしたことがある。

原爆と本土上陸作戦を比べて、原爆を「2つの害悪のうち小さい方(lesser of the two evils)」と表現したこともあった。どちらも多くの命が失われる害悪だが、硫黄島や沖縄での日本兵の戦いぶりと米兵の死傷者の多さなどを考えると、本土上陸作戦より原爆の方が悪の度合いが小さいという考え方だ。同氏は「もし君が広島に住んでいたら、受け入れるのは非常に難しいだろうが……」と付け加えた。

戦争責任と裁判

同氏は「もし米国が負けていたら、自分は戦犯として裁かれていただろう」と話していた。日本の指導者が裁かれた東京裁判について聞くと、「公正かって? 米国にとってはそうだろう。戦争に勝ったから。だが、もし米国が負けて自分が裁かれていたら、ここで君に『絶対公正じゃない』と訴えていただろう」と語った。「当時はドイツも日本もどの国も、自分の国と国民のために最善だと考えたことを行っていた。私たちが原爆を落としたのも、それが米国と国民にとってベストと考えたからだ」と話し、戦争裁判は相対的なものだという考えを示した。

プロテスタントのキリスト教徒だという同氏に「神はあなたを天国に行かせてくれると思いますか」と尋ねたことがある。2011年のことだ。同氏は一瞬険しい表情になり、「全く見当がつかない」と2回口にした。そして落ち着いた口調に戻り、「やるべきことをやって、その結果を受け止めるしかない。いずれ分かる。君よりは先にね」と語った。

長崎で感じた家族を失う痛み

同氏は、原爆のみで自分の人生を語られることを嫌った。「原爆によって自分の人生は何も変わっていない」と繰り返し、「原爆投下への批判も称賛も、どちらも人生には影響しない」と語っていた。

1941年に陸軍入隊。欧州戦線などで、エノラ・ゲイ機長となるティベッツ氏と同じ爆撃機に搭乗後、原爆投下部隊に加わった。広島への原爆投下後、46年に軍を退役。大学院を卒業すると大手化学メーカーのデュポンに就職、マーケティング部門の管理職になり、30数年務めて退職した。この間、4人の子供を育てた。同社は軍需産業にも関わっていたが、同氏は「軍事関係の仕事には一切関わっていない」と強調していた。

2012年、米国のライターが彼の自伝を出版した。「自伝の大半は原爆の話で占められますね」と声をかけると、同氏は「そうだ。だが、原爆よりも大事なことをしたよ。それはいい家族を育てたことだ」と真剣な表情で答えた。

会うたびに同氏が自ら話題にした出来事があった。原爆投下の翌月、科学者と一緒に訪れたもう一つの被爆地・長崎で、破壊しつくされた街を一人ぼうぜんとした様子で歩いている日本の復員兵を見たという話だ。「戦場では兵士が命を狙われる。どの兵士にも家族や親類がいて、古里で彼の無事を願っているものだ。それが一転して家族の命が狙われ、奪われる。自分が逆の立場だったら、身を切り裂かれるような気持ちだろう」と語っていた。終戦当時、妻と1歳の息子がいた同氏は戦後、この長崎で見た日本人兵士の姿がずっと忘れられなかったという。

原爆投下当時、同氏は24歳。任務を遂行した部隊の一員にすぎず、原爆の開発計画や威力についてはほとんど知らされていなかった。「当時考えていたことは、戦争を終わらせ、軍を退役し、家族の元へ戻り、大学へ行きたかっただけだ」と率直な思いを語っていた。原爆投下が正しかったのか経緯を調べ、考え始めたのは、戦後になってからだ。「原爆について書かれた本はほとんどすべて読んだ」という同氏の自宅本棚には、原爆と戦争関係の本がびっしりと並んでいた。

武力の限界と、核戦争の不安

同氏は戦争や武力による解決という手法そのものに疑問を抱き、米ブッシュ政権時代からのイラクやアフガニスタンへの軍事介入に否定的な見方をしていた。

2011年7月に会った時は、国際テロ組織アルカイダの指導者、ビンラディン容疑者を米特殊部隊が殺害した余韻が米国内に残っていた。同氏は「武力で人の信念を変えることはできない。リーダーを殺害しても、気分が良くなるだけで問題解決にはならない。リーダーの代わりはすぐに現れる」と冷めた口調で語った。

一方、核兵器の廃絶へ向けてオバマ大統領が提唱する「核兵器なき世界」は強く支持していた。ロシアなどの大国は核兵器を使用する心配はないとする一方、北朝鮮やイランの核開発の行方を懸念していた。「テロリストが核兵器を持たないよう願う」とも語っていた。

過去の戦争と原爆の経験から学ぶべき教訓は何かと尋ねたとき、同氏は「これは覚えておいた方がいい」と前置きし、「一人の指導者が『これから核兵器を使用する』と宣言すれば、すべてが解き放たれる。たった一人がそうするだけで! 戦争を始めるのはそれほど簡単だ」と、核エネルギーが拡散する現状に懸念を口にした。

広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている。そばに設置されている英文の説明板によると、「LET ALL THE SOULS HERE REST IN PEACE. FOR WE SHALL NOT REPEAT THE EVIL」となる。「過ち」の英訳は「evil」、主語は「すべての人々」を代表して戦争という過ちを繰り返さないと誓う「We」だ。

ついに再び広島を訪れることなく、この世を去った同氏。被爆者との交流もほとんどなく、主張がすれ違うこともあったようだ。立場は違っても、「過ちを繰り返さないために」という強い願いの根底には、戦争を否定し平和を希求する「ヒロシマ」の思いに通ずるものがあったのではないだろうか。(電子編集部 中前博之)

→アップデートした英語の記事をNikkei Asian Reviewに掲載

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