太陽は銀河系の中では主系列星の一つで、スペクトル型はG2V(金色)である。

 

■登録年月日:平成19年6月1日 ■登録有効期間の末日:平成34年5月31日 ■動物取扱責任者:桑


ニホンオオカミ
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ニホンオオカミ
Japanese Wolf.jpg
ニホンオオカミの剥製(国立科学博物館所蔵)
保全状況評価
絶滅(環境省レッドリスト)
Status jenv EX.png
分類
界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 哺乳綱 Mammalia
目 : ネコ目(食肉目) Carnivora
科 : イヌ科 Canidae
属 : イヌ属 Canis
種 : タイリクオオカミ C. lupus
亜種 : ニホンオオカミ C. l. hodophilax
学名
Canis lupus hodophilax
Temminck, 1839
和名
ニホンオオカミ
英名
Japanese Wolf
ニホンオオカミ(日本狼、学名Canis lupus hodophilax)は、日本の本州、四国、九州に生息していたオオカミの1亜種。あるいはCanis属のhodophilax種[1]。20世紀初頭に絶滅したというのが定説である。


目次
1 概要
1.1 特徴
2 分類
2.1 別亜種説
2.2 別種説
2.2.1 遺伝学的調査
2.3 ヤマイヌとオオカミ
3 生態
4 人間との関係
5 絶滅の原因
6 生存の可能性
7 ニホンオオカミ絶滅の弊害とオオカミ導入計画
8 現存する標本
8.1 日本
8.2 日本国外
8.3 頭骨など
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
10 参考文献
11 関連項目
12 外部リンク
概要
1905年(明治38年)1月23日に、奈良県吉野郡小川村鷲家口(現:東吉野村鷲家口)で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報、とされる[2][3]。なお、1月23日はアメリカ人の動物採集家マルコム・プレイフェア・アンダーソン(1879-1919)と同行していた金井清および猟師の石黒平次郎が、地元の日本人猟師2名からオオカミの死体を8円50銭で購入した日付であり、標本作製の際に金井が、厳冬のさなかに「腹は稍青みをおびて腐敗しかけている所からみて数日前に捕れたものらしい」ことに気がついている[4]ので、正確な捕獲日は1月23日よりも数日前である。剥製の作製は宿泊していた芳月楼(現在の皆花楼)の近くでおこなった[4][5]。

2003年に「1910年(明治43年)8月に福井城址にあった農業試験場(松平試農場。松平康荘参照)にて撲殺されたイヌ科動物がニホンオオカミであった」との論文が発表された[6][3]。だが、この福井の個体は標本が現存していない(福井空襲により焼失。写真のみ現存。)ため、最後の例と認定するには学術的には不確実である[3]。

2012年4月に、1910年に群馬県高崎市でオオカミ狩猟の可能性のある雑誌記事(1910年3月20日発行狩猟雑誌『猟友』)が発見された[7]。

環境省のレッドリストでは、「過去50年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている。

特徴
脊椎動物亜門哺乳類綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する。絶滅種。体長95 - 114センチメートル、尾長約30センチメートル、肩高約55センチメートル、体重推定15キログラムが定説となっている(剥製より)。

他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。吻は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の一つ。周囲の環境に溶け込みやすいよう、夏と冬で毛色が変化した。


雑誌『The Chrysanthemum』1881年2月号に掲載されたブラウンスの記事中の図。
分類
ニホンオオカミは、同じく絶滅種である北海道に生育していたエゾオオカミとは、別亜種であるとして区別される。

エゾオオカミは大陸のハイイロオオカミの別亜種とされているが、ニホンオオカミをハイイロオオカミの亜種とするか別種にするかは意見が分かれており、別亜種説が多数派であるものの定説にはなっていない。

別亜種説
ニホンオオカミが大陸のハイイロオオカミと分岐したのは日本列島が大陸と別れた約17万年前とされているが、一般に種が分岐するには数百万年という期間を要し、また生態学的、地理的特徴においても種として分岐するほどの差異が見られないことから、同種の別亜種であるとする説。

別種説
ニホンオオカミを記載したテミンクによると、ニホンオオカミはハイイロオオカミと別種であるという見解である[8]。

また、ニホンオオカミの頭骨を研究していた今泉吉典も頭骨に6ヵ所の相違点があり、独立種と分類すべきとしている。このように大陸産のハイイロオオカミの亜種ではなく、Canis hodophilax として独立種であるとすることもある。

遺伝学的調査
岐阜大学教授の石黒直隆によりニホンオオカミの骨からDNAが取りだされて調査された結果、大陸のオオカミとも犬とも遺伝的に異なる系統であること、本州、四国、九州の各地域で捕獲されたサンプル間の遺伝的差異は小さく、遺伝的に均一性の高い集団であることが確かめられ、この論文は、2009年度の日本動物学会誌11月号に発表された[9]。石黒教授は朝日新聞のインタビューに、「ニホンオオカミは限られた遺伝子集団であり、日本列島で孤立化した種」、「ニホンオオカミの起源となったオオカミもすでに絶滅しているのかもしれないが、探し出したい」旨のコメントを残している。

同論文中に示された遺伝子系統樹ではニホンオオカミ集団は単系統のクラスターを形成しているが、系統樹全体で見ればイヌ(Canis lupus familiaris)を含むハイイロオオカミ(Canis lupus)の種内に包摂されているため、大陸のハイイロオオカミ系統とは亜種レベルの差異であることが示唆されており、遺伝系統の考察においても慎重ながらニホンオオカミは大陸のオオカミの一系統に由来すると推測されている[10]。

その後石黒は2012年の日本獣医師会雑誌 第65巻第3号に掲載された論文[11]の中で、「ニホンオオカミもユーラシア大陸由来のタイリクオオカミから派生した地方集団と考えて、島に閉じ込められて体型が小型化した島嶼化集団と推測するとわかりやすい」、「今後、朝鮮半島や台湾などユーラシア大陸の島嶼部で、ニホンオオカミと同じ系統を示すタイリクオオカミの依存種〔ママ〕がいないか調査してみたいものである」と述べており、2009年時点よりも明確に別亜種説を採っている。

ヤマイヌとオオカミ
「ニホンオオカミ」という呼び名は、明治になって現れたものである。

日本では古来、ヤマイヌ(豺、山犬)、オオカミ(狼)と呼ばれるイヌ科の野生動物がいるとされていて、説話や絵画などに登場している。これらは、同じものとされることもあったが、江戸時代ごろから、別であると明記された文献も現れた。ヤマイヌは小さくオオカミは大きい、オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった、などの違いがあった[12]。

このことについては、下記の通りいくつかの説がある。

ヤマイヌとオオカミは同種(同亜種)である。
ヤマイヌとオオカミは別種(別亜種)である。
ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは未記載である。
ニホンオオカミはオオカミであり、未記載である。Canis lupus hodophilaxはヤマイヌなので、ニホンオオカミではない。
ニホンオオカミはオオカミであり、Canis lupus hodophilaxは本当はオオカミだが、誤ってヤマイヌと記録された。真のヤマイヌは未記載である。
ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミはニホンオオカミとイエイヌの雑種である。
ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは想像上の動物である。
シーボルトはオオカミとヤマイヌの両方を飼育していた。

現在は、ヤマイヌとオオカミは同種とする説が有力である。

なお、中国での漢字本来の意味では、豺はドール(アカオオカミ)、狼はタイリクオオカミで、混同されることはなかった。

現代では、「ヤマイヌ」は次の意味で使われることもある。

ヤマイヌが絶滅してしまうと、本来の意味が忘れ去られ、主に野犬を指す呼称として使用されるようになった。
英語のwild dogの訳語として使われる[13][注 1]。wild dogは、イエイヌ以外のイヌ亜科全般を指す(オオカミ類は除外することもある)。「ヤマネコ(wild cat)」でイエネコ以外の小型ネコ科全般を指すのと類似の語法である。
昭和の動物学者平岩米吉は、ニホンオオカミ絶滅前は、ニホンオオカミと山にいる野犬を混同して両方「山犬」と呼んでいただろう、とし、黄褐色の毛を持ち、常に尾を垂れているものがニホンオオカミであるが、両方とも人を噛むという点でどちらも人々から恐れられていただろう、と述べている[14]。

生態
生態は絶滅前の正確な資料がなく、ほとんど分かっていない。

薄明薄暮性で、北海道に生息していたエゾオオカミと違って大規模な群れを作らず、2、3-10頭程度の群れで行動した。主にニホンジカを獲物としていたが、人里に出現し飼い犬や馬を襲うこともあった(特に馬の生産が盛んであった盛岡では被害が多かった)。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどの声だったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで3頭ほどの子を産んだ。自らのテリトリーに入った人間の後ろを監視する様に付いて来る習性があったとされる。また hodophilax (道を守る者)という亜種名の元となった。

一説にはヤマイヌの他にオオカメ(オオカミの訛り)[注 2]と呼ばれる痩身で長毛のタイプもいたようである。シーボルトは両方飼育していたが、オオカメとヤマイヌの頭骨はほぼ同様であり、テミンクはオオカメはヤマイヌと家犬の雑種と判断した。オオカメが亜種であった可能性も否定出来ないが今となっては不明である[注 3]。

『和漢三才図会』には、「狼、人の屍を見れば、必ずその上を跳び越し、これに尿して、後にこれを食う」と記述されている。

人間との関係
日本列島では縄文時代早期から家畜としてのイヌが存在し、縄文犬と呼ばれている[15]。縄文犬は縄文早期には体高45センチメートル程度、縄文後期・晩期には体高40センチメートルで、猟犬として用いられていた[16]。弥生時代には大陸から縄文犬と形質の異なる弥生犬が導入されるが、縄文犬・弥生犬ともに東アジア地域でオオカミから家畜化されたイヌであると考えられており、日本列島内においてニホンオオカミが家畜化された可能性は形態学的・遺伝学的にも否定されている[17]。なお、縄文時代にはニホンオオカミの遺体を加工した装身具が存在し、千葉県の庚塚遺跡からは縄文前期の上顎犬歯製の牙製垂飾が出土している[18]。


狼と遭遇し、笙を聞かせて難を逃れた豊原統秋の伝承を描いた『北山月』(月岡芳年『月百姿』)
日本の狼に関する記録を集成した平岩米吉の著作によると、狼が山間のみならず家屋にも侵入して人を襲った記録[19]がしばしば現れる。また北越地方の生活史を記した北越雪譜や[注 4]、富山・飛騨地方の古文書にも狼害について具体的な記述[注 5]が現れている。

奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。『遠野物語』の記述には、「字山口・字本宿では、山峰様を祀り、終わると衣川へ送って行かなければならず、これを怠って送り届けなかった家は、馬が一夜の内にことごとく狼に食い殺されることがあった」と伝えられており、神に使わされて祟る役割が見られる。

絶滅の原因

ニホンオオカミ終焉の地碑石像
ニホンオオカミ絶滅の原因については確定していないが、おおむね狂犬病やジステンパー(明治後には西洋犬の導入に伴い流行)など家畜伝染病と人為的な駆除、開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したものであると考えられている。

江戸時代の1732年(享保17年)ごろにはニホンオオカミの間で狂犬病が流行しており、オオカミによる襲撃の増加が駆除に拍車をかけていたと考えられている。また、日本では山間部を中心に狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの加持祈祷にオオカミ頭骨などの遺骸が用いられている。江戸後期から明治初期には狼信仰が流行した時期にあたり、狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけた要因のひとつであると考えられている。

なお、1892年の6月まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるが写真は残されていない。当時は、その後10年ほどで絶滅するとは考えられていなかった。

生存の可能性
紀伊半島山間部では、1970年代に捕獲された動物がニホンオオカミではないかと騒動になった事例が複数ある(ただし、それらはタヌキの幼獣や野犬、キツネを誤認したものであった[24])。また、秩父山系でも、1996年にニホンオオカミに酷似した動物が撮影されたことがあり[25]、ニホンオオカミ生存の噂は絶えない。

また、九州中部の山地でも2000年に秩父と同様の事例があり(詳しくは四国犬を参照のこと)、生存しているのではないかという話もある。

ニホンオオカミ絶滅の弊害とオオカミ導入計画
詳細は「オオカミの再導入」を参照
ニホンオオカミが絶滅したことにより、天敵がいなくなったイノシシ・ニホンジカ・ニホンザルなどの野生動物が大繁殖することとなり[注 6]、人間の生存域にまで進出し、農作物に留まらず森林や生態系にまで大きな被害を与えるようになった。アメリカでは絶滅したオオカミを復活させたことにより、崩れた生態系を修復した実例があり、それと同様にシベリアオオカミを日本に再導入し対応するという計画が立案されたこともあった。しかしながら、ニホンオオカミよりも大型で体力の強いシベリアオオカミが野生化することの弊害が指摘されて中止になった経緯がある。現在も、祖先がニホンオオカミと同じという説がある中国の大興安嶺のオオカミを日本に連れてきて森林地帯に放すという計画を主張する人々がいる。

また、近年では、クローン技術によりニホンオオカミを復元しようという話も持ち上がっている[26]。

現存する標本
ニホンオオカミは明治の早期に絶滅したため、頭骨、毛皮は数体存在し剥製は世界に4体しかない。うち国内は3体、オランダに1体が確認されている。

日本
国立科学博物館(剥製、全身骨格標本:1870年頃・福島県産オス・冬毛)
東京大学農学部(剥製:1881年岩手県産メス・冬毛)
和歌山県立自然博物館(剥製:1904年和歌山・奈良県境大台山系産・冬毛、和歌山大学より寄託)‐吻から額にかけてのラインに段があり、日本犬のような顔になっている。標本を作る際のミスとの意見もある。
埼玉県秩父市の秩父宮記念三峯山博物館(2例の毛皮、2002年に相次いで発見・確認)
熊本市立熊本博物館(全身骨格標本) - 熊本県八代郡京丈山洞穴より、1976年から1977年にかけての調査で発見された。放射性炭素法を使って骨の年代測定を行った結果、この個体は室町時代から江戸時代初期に生きていたことが分かった。このほか1969年に、同じく熊本県泉村矢山岳の石灰岩縦穴からも頭骨が発見されている。
現存標本画像

国立科学博物館所蔵標本

 

東京大学所蔵標本

 

和歌山県立自然博物館保管標本


国立科学博物館所蔵標本

日本国外
オランダ・ライデンのオランダ国立自然史博物館(剥製:1826年大阪天王寺で購入・成獣) - 江戸時代にシーボルトが日本から持ち帰った多くの動植物標本の内の一点、ヤマイヌという名称で基準標本となっている。愛知万博で里帰り展示された。
イギリス・ロンドンのロンドン自然史博物館[27](毛皮、頭骨:1905年奈良県東吉野村鷲家口で購入・若いオス・冬毛)
ドイツ・ベルリンのフンボルト博物館(毛皮)
頭骨など

ニホンオオカミの頭蓋骨標本
本州、四国、九州の神社、旧家などに、ニホンオオカミのものとして伝えられた頭骨が保管されている。特に神奈川県の丹沢ではその頭骨が魔よけとして使われていた為、多く見つかっている。
2004年4月には、筋肉や皮、脳の一部が残っているイヌ科の動物の頭骨が山梨県笛吹市御坂町で発見され、国立科学博物館の鑑定によりニホンオオカミのものと断定された(御坂オオカミ)。DNA鑑定は可能な状態という。中部地方や関東地方の山間地には狼信仰があり、民間信仰と関係したオオカミ頭骨が残されている。御坂オオカミは江戸後期から明治に捕獲された個体であると推定されており、用途は魔除けや子どもの夜泣きを鎮める用途が考えられ民俗学的にも注目されている。現在は山梨県立博物館に所蔵されている[28]。
栃原岩陰遺跡の遺物を収蔵展示している北相木村考古博物館にはニホンオオカミの骨の破片が展示されているが、その他多くの縄文・弥生遺跡からニホンオオカミの骨片が発掘されている[29]。
脚注
注釈
^ en:Free-ranging dog#Wild dogsも参照。[疑問点 – ノート]
^ 京都市伏見区深草には、大亀谷または狼谷と記される地名がある。
^ シーボルトの標本を疑問視する声も少なからずあり、これは骨格の似ているアジア地域の野生犬ドールのものとも考えられており、また後述するように庶民にも馴染み深い人懐っこい性格であったにもかかわらずこれほど骨格も剥製も残されていないというのはおかしいという観点もある。
^ 母はいろりの前にここかしこ食い散らされ片足は食いとられて死至り妻はまどの元に食い伏せられ紅に染み・・・七つの男の子は庭にありて屍なかば食われたり[20]
^ 元禄十年、生源寺新村頭振せがれが襲われ食べられた。同十二年九月三日、旧池新村百姓与兵衛せがれ左兵衛(13歳)が食い殺された。そのため足軽が出動し、南部源右衛門が円池新村佐十郎谷で一週間後に長さ三尺三寸.丈二尺三寸の狼を仕留め、その死骸を同村肝煎伝兵衛の屋敷内に埋めた。しカし同月今度は水戸田村で頭振与蔵せがれ鍋(14歳)、西広上村百姓七右衛門甥が被害にあい出動した足軽によって狼は仕留められた。狼被害が頻発したため、同十三年に藩は足軽による狼退治に乗リ出し七月に円池村で2頭、八月に円池新村大谷で1頭を仕留める。八月十八日夜に、大門村頭振弥兵衛せがれ岩松(十三歳)が家に侵入した狼に襲われ重傷。足軽が退治に出動[21]。 天保十二年五月二十五日夕方庄下組宮森村宇蔵(12歳)が草刈中に襲われ食い殺される。慶応三年にも狼害のため兵卒が退治に出動[22]。 延宝八年三月十五日 婦負郡奥田村山中で、群狼が人を襲っため、富山藩主前田正甫自ら狼狩りを行い、槍で三匹を仕留めた[23]。
^ ただし、オオカミの絶滅は増加の原因の一因に過ぎない。地球温暖化による冬期の死亡率の低下、農村の過疎化など、様々な要因が指摘されている。
出典
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^ a b 上野 1969, p. 不明.
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^ 朝日新聞 2009年 12月15日 火曜日 付
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^ 絶滅した日本のオオカミの遺伝的系統『日本獣医師会雑誌』 第65巻第3号
^ 長野県松本市の旧開智学校に展示されている明治期の教科書(副読本)に、「肉食獣類 狼 おほかみ (1)種類1 狼 2 豺 ヤマイヌ (2)部分 頭 長シ ○口 長ク且大ニシテ耳下ニ至ル 耳ハ小ナリ ○体 犬ニ似テ大ナリ ○脚 蹼(みずかき)アリテ能ク水ヲ渉ル ○毛 灰色ニシテ白色雑ル ○歯 甚ダ鋭利ナリ(3) 常習 性猛悍兇暴ニシテ餓ユルトキハ人ニ迫ル 深山ニ棲息シ他獣ヲ害シ(以下略)」とある。
^ “wild dogの意味・使い方 - 英和辞典 Weblio辞書”. ウェブリオ株式会社. 2019年1月6日閲覧。
^ 「山犬と狼」 平岩米吉『昭和日本犬の検討』 (犬の研究社, 1936)
^ 西本豊弘「イヌと日本人」西本豊弘編『人と動物の日本史1 動物の考古学』吉川弘文館、2008年
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^ 山崎京美「イヌ」『縄文時代の考古学5 なりわい 食料生産の技術』(同成社、2007年)、p.211
^ 『オオカミがいた山 消えたニホンオオカミの謎に迫る』(山梨県立博物館、2007年)
^ 851年 神主の家に狼侵入、13歳の童子を喰った。太神宮雑事記(P.85)
886年 賀茂神社のあたりの狼が人をかみ殺した。三代実録(P.86)
957年 学習院北町で狼が3人の女をかみ殺した。日本紀略
8歳の女の子が逃げ遅れ、兄は引き返し鎌で狼の眉間を打ち、狼はくわえていた女の子をひとふり振って捨てると、今度は兄の頬に食らい付いてきた。(P.141)
1769年 狼が来て夫を噛んだ。この狼は前にも多くの人畜を害していた (P.141)
1799年 信州上諏訪、狼が友人に食いついて次郎兵衛は石で狼の背を打ったが、狼は次郎兵衛の目の下を噛み裂き・・、血だるまになり卒倒、友人の屍骸には頭も皮も肉もなかった (P.148)
1833年 飛騨、夜、孫の6歳の娘を屋外の便所に連れて行こうとしたとき狼が孫に飛びかかり、孫をかばった老婆は左腕を噛まれ、助けにきた娘の肩口に食いついた。
1688年 私市村、19歳の女子を食い殺し16歳の男子に重傷を負わせた (P.168 )
1702年 6月4日、8歳女児喰い殺さる。同6月22日、12歳男児をくわえ山林に遁走。2ヶ月の間に16人の男女が食い殺されたと言う 信州高島藩日記(P.216)
1709年尾張藩、3月中に狼に食われた人24人、16人死、8人手負い (P.221)
1710年尾張藩、8月4歳の少女狼に食いつかれ、疵を受ける (P.221)以上平岩米吉『狼 - その生態と歴史』動物文学会[要文献特定詳細情報]
^ 「北越雪譜」。
^ 『富山県大門町史』。[要文献特定詳細情報]
^ 『砺波市史』。[要文献特定詳細情報]
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^ 平岩米吉 『狼 - その生態と歴史 新装版』 動物文学会、1992年、278-281頁。[要文献特定詳細情報]
^ 山根一眞 「山根一眞の動物事件簿 狼 第15回 突如、現れた秩父野犬」『SINRA』39号、新潮社、1997年。
^ “神戸新聞|社会|絶滅のニホンオオカミ復活へ 神戸・理研が挑戦”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2011年1月5日). オリジナルの2011年1月5日時点によるアーカイブ。 2019年1月6日閲覧。
^ “Canis lupus hodophilax, Japanese wolf”. Natural History Museum Picture Library. Natural History Museum, London. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月6日閲覧。
^ 御坂オオカミの形態学的形質については、遠藤秀紀・酒井健夫・伊藤琢也・鯉江洋・木村順平「山梨県の民家で発見されたニホンオオカミ頭蓋の骨学的および画像解析学的検討」『日本野生動物医学会誌(9-2、2004年)、文化史的背景の検討については植月学「甲州周辺における狼信仰-笛吹市御坂町に伝わるニホンオオカミ頭骨をめぐって-」『山梨県立博物館研究紀要』(第2集、2008年)
^ “縄文のくらし 縄文の食生活”. 鹿児島県上野原縄文の森. 2019年1月6日閲覧。
参考文献
平岩米吉 『狼―その生態と歴史』 築地書館、1992年。ISBN 978-4806723387。
上野益三「鷲家口とニホンオオカミ」、『甲南女子大学研究紀要』第5号、甲南女子大学、1969年、 89-108頁、 NAID 40001240705。
皆花楼 (2012年). “皆花楼あれこれ「幻の日本狼」について”. 2013年5月20日閲覧。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、ニホンオオカミに関連するカテゴリがあります。
川上犬
肥後狼犬
四国犬
オオカミの再導入
外部リンク
ニホンオオカミの生態
すずかハイキング[リンク切れ]
動く大地とその生物(東京大学) ニホンオオカミ[リンク切れ]
Canis hodophilax Museum - 専門家による独立種として考察を行っているサイト。剥製の閲覧が可能である。
戦え絶滅動物 ニホンオオカミ - 宮川アジュ製作の粘土細工による解説。
山梨県立博物館シンボル展「オオカミがいた山」 - 発見されたニホンオオカミ頭骨や狼信仰関係資料の画像。
絶滅危惧種情報検索 ニホンオオカミ
日本へのオオカミ再導入論
日本オオカミ協会
猪変[リンク切れ] - 中国新聞
総合的な情報
Wolf Network JAPAN[リンク切れ]
川崎悟司イラスト集 ­­­­- ニホンオオカミ
山犬に関する伝承
「狼、山犬」『静岡県伝説昔話集』静岡県女子師範学校郷土研究会編 (静岡谷島屋書店, 1934)
カテゴリ: 絶滅 (環境省レッドリスト)オオカミ
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エゾオオカミ
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エゾオオカミ
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エゾオオカミの剥製(北海道開拓記念館)
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絶滅(環境省レッドリスト)
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分類
界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 哺乳綱 Mammalia
目 : ネコ目(食肉目) Carnivora
科 : イヌ科 Canidae
属 : イヌ属 Canis
種 : タイリクオオカミ C. lupus
亜種 : エゾオオカミ C. l. hattai
学名
Canis lupus hattai
Kishida, 1931
シノニム
Canis lupus rex
Pocock, 1935
和名
エゾオオカミ
英名
Ezo Wolf、Hokkaido Wolf

剥製となったエゾオオカミの捕獲場所。札幌市白石区
エゾオオカミ(蝦夷狼、学名:Canis lupus hattai)は、北海道に分布していたタイリクオオカミの亜種。


目次
1 分布
2 形態
3 生態
4 歴史
5 脚注
6 関連項目
7 参考文献
8 外部リンク
分布
前述通り、かつては北海道に分布していたが、本州のニホンオオカミと同様に明治時代から減少し、現在では絶滅したとされる。

そのほか、樺太や千島列島にも生息していたといわれる。

形態
頭胴長120 - 129センチメートル、尾長27 - 40センチメートル。体毛は黄色っぽく、尾の先端は黒色。両前足には黒斑がある。吻は細長い。

ミトコンドリアDNA分析では、塩基配列がカナダ・ユーコン川流域に生息するオオカミのものと一致している[1]。

生態
群れを形成し、主にエゾシカを獲物としていたほか、海岸に打ち上げられたクジラの死体やニシンも食べていた。

古来からアイヌの人々とは共存しており、「狩する神(ホロケウカムイ)」、「吠える神(ウォセカムイ)」、「鹿を獲る神(ユクコイキカムイ)」と呼ばれ崇められていた。また、イオマンテの対象とされることもあった。

歴史
明治に入り北海道の開拓により獲物のエゾシカが減少し、エゾオオカミは代わりに放牧されたウマを襲うようになったため、1877年に開拓使によって賞金がかけられ駆除が始まった。新冠牧場においても、オオカミによるウマへの被害が酷かったためエドウィン・ダンの提案により、1879年の夏から秋にかけてストリキニーネを用いた毒餌により駆除が実施された。

また、1879年には大雪によりエゾシカ大量死が起こり、さらにエゾオオカミは追い詰められていった。

奨励策が廃止された1888年までの間に、1,539頭(官庁に駆除されたものも含めると推定2,000-3,000頭)が駆除された。その後、1896年に函館の毛皮商によってエゾオオカミの毛皮数枚が扱われたという記録を最後に確認例がない。

絶滅の原因については、前述の理由以外にも複合要因と推測され、そのひとつに狂犬病やジステンパーが挙げられているが、今となっては科学的な原因解明をした報告はない[2]。 南部千島列島においても、オオカミの生存は確認されていない[3][4]。千島列島においては、2004年のロシアの報告において「千島列島(南部、北部ともに含む)にはオオカミはおそらく確実にいないと思われる」と記述してあり[5]、また、樺太からも絶滅したとされる[2]。

エゾオオカミが絶滅した後、北海道ではエゾシカの増加による農業被害が多発する背景もあり、生態系の面からオオカミを再導入しようとする動きもある。

詳細は「オオカミの再導入」を参照
脚注
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^ 石黒直隆 (2012年), 絶滅した日本のオオカミの遺伝的系統, 日本獣医師会
^ a b The Wild Mammals of Japan (2009, Shoukadoh, Kyoto)
^ 国後島:白いヒグマを撮った ビザなし訪問団 毎日jp(毎日新聞) 2009年10月29日
白いヒグマ 撮った! 国後島 asahi.com(朝日新聞) 2009年10月30日
国後に「白いヒグマ」…日本人調査団、撮影成功 YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2009年10月30日
^ 白ヒグマ 国後で確認 ビザなし交流 北大名誉教授ら調査隊が初撮影 北海道新聞 2009年10月30日
^ Маекопитающие Курильского Архипелага. В.А. Костенко et al. 2004. Dalnauka, Vladivostok
関連項目
ニホンオオカミ
参考文献
今泉吉典 『原色日本哺乳類図鑑』 保育社、1960年、162-163頁。
平岩米吉 『狼 - その生態と歴史 新装版』 1992年、築地書館、238-243頁。
ブレット・ウォーカー著 『絶滅した日本のオオカミ - その歴史と生態学』 浜健二訳、北海道大学出版会、2009年。
外部リンク
ウィキスピーシーズにエゾオオカミに関する情報があります。
絶滅危惧種情報検索 エゾオオカミ - 環境省版レッドデータブック
川崎悟司のイラスト集 - エゾオオカミ
執筆の途中です この項目は、動物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:生き物と自然/プロジェクト:生物)。
カテゴリ: 絶滅 (環境省レッドリスト)オオカミ
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オオカミの再導入
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イエローストーン国立公園のオオカミ(ハイイロオオカミ)Canis lupus occidentalis
追跡調査用に電波発信機つきの首輪をつけている
オオカミの再導入(オオカミのさいどうにゅう)とは、オオカミが絶滅した地域に、人間がオオカミの群れを再び作り上げることである。オオカミにとって適した自然環境が広い範囲で残っており、同時に獲物となる生物が十分にいる地域である場合に限って検討される。以下、この記事中では単に「再導入」と表記する。


目次
1 概要
2 イエローストーンとアイダホ州
2.1 オオカミの絶滅から再導入の提案まで
2.2 準備期間
2.3 再導入直前の民事訴訟
2.4 再導入とその後の経過
3 アリゾナ州とニューメキシコ州
4 中央ヨーロッパと西ヨーロッパ
5 日本
6 脚注
7 参考資料
8 関連項目
9 外部リンク
概要

イエローストーン国立公園の位置
アメリカ合衆国のロッキー山脈の北部に位置するイエローストーン国立公園(ワイオミング州)とアイダホ州では、約30年間の計画の見直しと関係者の話し合いを行った後、オオカミの再導入を行い、オオカミの群れを回復することに成功した。アメリカ合衆国の別の2-3の地域やヨーロッパの国々でも、再導入は検討され続けている。過去の例でも現在検討中のものでも、対象地域の人々は、家畜の敵である肉食動物(捕食者)の再導入に、反対することが多い。しかしながら、欧米では、オオカミや他の捕食者への見方は、過去のもの(狼に関する文化を参照)から変わってきている。つまり、捕食者が生態系に存在することで環境が維持されることに対して、理解を示すようになってきている。再導入を成功させた2つの地域では、この理解の広がったことが、再導入を開始するために最も重要であった。 アリゾナ州とニューメキシコ州でも、北部とは別の亜種・メキシコオオカミの再導入が1998年から始まっている。

日本においても再導入を提唱する人々がいる。生息域の確保の問題、人間と接触する可能性などが指摘されており、2017年時点では多数意見ではない[* 1]。

イエローストーンとアイダホ州

ワピチ(アメリカアカシカ・北米名エルク)Cervus canadensis
イエローストーン国立公園とアイダホ州で再導入が開始されたのは1995年である。

オオカミの絶滅から再導入の提案まで
イエローストーン国立公園で野生のオオカミが殺された最後の公式記録は1926年であった。その後、オオカミの獲物となっていたワピチ(アメリカアカシカ Cervus canadensis)や他の動物が増加し、その結果、植生に被害が出た。オオカミが果たしていた捕食者としての役割の一部はコヨーテが果たすことになったが、成獣のワピチはコヨーテの捕食対象にはならない。またオオカミと並びイエローストーンの生態系の頂点を成していたハイイログマは雑食性であり、ワピチを捕食する割合は低く、いずれもワピチの増加を制御できなかった。さらには、コヨーテの個体数が増加したことによって、コヨーテより小さな動物、特にアカギツネが減少してしまった。1978年に生物学者ジョン・ウィーバーはイエローストーンのオオカミは絶滅したと結論した[1][2]。

地元牧場主たちと環境保護団体は、再導入について何年も討論を続けてきた。生物学者によって再導入のアイデアが議会に最初に提出されたのは1966年である。それらの生物学者は、イエローストーンのワピチが危機的状況まで増加していると心配していた。しかしながら、牧場主たちは、家畜が襲われることの問題をオオカミを疫病に喩えて、再導入に強く反対した。

準備期間
合衆国政府は、妥協案の作成・条件整備・実行について責任を負い、妥協点を探し出すのに約20年間をかけて努力を続けた。1974年にオオカミ回復チームが任命され、1982年には意見を集めるために最初の公式の回復計画(Recovery Plan)を公表した。オオカミ再導入に対する一般的な不安があったため、州政府および地方政府の判断を加えやすくするように、魚類野生生物局は計画を変更した。そのようにして、意見を集めるための2番目の回復計画が1985年に公表された。同じ年に行われたイエローストーン国立公園の訪問者へのアンケートでは、74%の人がオオカミが公園の改善に必要かもしれないと回答し、60%の人が再導入に賛成した。再導入に承認を与える前の最終段階として、実施した場合の影響の事前評価(環境アセスメント)があった。連邦議会は、環境アセスメントへの支出をする前に更に研究が必要であるとして、計画を差し止めた。

1987年に牧場主たちは、再導入提案者に経済的負担に対する補償を要求した。それに対してDefenders of Wildlife(アメリカ合衆国の自然保護団体)は、オオカミによる被害で失われる家畜の市場価格を牧場主たちに補償するために、「オオカミ補償基金」を準備した。その同じ年、最終的な回復計画が発表された。その後、研究・公的な教育・意見募集を行い、公開検討を加えるために1993年に環境影響評価書(環境アセスメントの結果報告書:Environmental Impact Statement)の草稿が発表された。この環境影響評価書には15万以上の意見が寄せられ、1994年5月に成立した。

元の計画には3つの回復地域(イエローストーン国立公園含むワイオミング州・アイダホ州・モンタナ州)が含まれていたが、モンタナ州は北西部に小さいながら繁殖している群れが確認されたので回復地域から外された。現在は再導入されたオオカミ群はモンタナ州とも往来しているため、モンタナを含む3州が回復地域として設定され、モニタリングされている。回復地域に再導入されるオオカミは、絶滅危惧種法に規定する「実験的な個体群」分類[3]に区分されている。


再導入のために箱に入れられて運ばれるオオカミ(1995年1月)

オオカミ再導入地域
■ハイイロオオカミ
■メキシコオオカミ
再導入直前の民事訴訟
1994年の後半の2つの民事訴訟によって、回復計画は危機にさらされた。1つはワイオミング州農業局連盟(Farm Bureau)による提訴[1]であったが、1995年1月3日に棄却。もう片方は環境保護団体の連合体による提訴であった。内容は未確認の目撃情報を元に、北側からイエローストーンにオオカミが既に移住している証拠があり、同じ地域に実験的な群れを再導入するのは既存のオオカミにとって脅威となると主張していたが、訴えは退けられた。これらの訴訟があったものの再導入の障害とはなっておらず、1995年1月から再導入が開始された。

再導入とその後の経過
1995年1月連邦政府は、カナダアルバータ州から野生のオオカミの輸送を始めた。しかしながら、1月9日にFarm Bureauから差し止め請求があったため、それが同年3月19日に棄却されるまでオオカミを放すことができなかった。そして3月21日、オオカミの檻の扉は開けられた[1]。また1996年1月にも追加のオオカミが放された。再導入されたオオカミは順調に増え、2009年末にはアイダホ州、ワイオミング州、モンタナ州の3州の個体数は約1700頭になり、そのうちイエローストーン国立公園には約100頭が生息している[4]。この頭数は、当初の計画が予定していたものを上回って推移している。現在、「十分に個体数が回復したので絶滅危惧種法の対象から外すべきだ」という議論が起きている。2009年に一度外されて狩猟が解禁されたものの、「同法の対象からまだ外すべきではない」という訴訟が起こり、2010年8月の判決によって再び絶滅危惧種法の保護対象となり狩猟禁止に戻った。

イエローストーン国立公園では、再導入によって生物多様性が増えたことが報告されている[5]。それはワピチの個体数の減少によって植生が増えたためであると考えられ、アカギツネや公園内では絶滅状態であったビーバーの個体数の増加が観察された。この動物相の変化は、オオカミがコヨーテの個体数を制御しているためであろうと考えられる。なお再導入後に、オオカミが家畜を襲う事件と、人がオオカミを殺傷する事件が起きるようになった。家畜被害のうちオオカミによることが確認されたものについては、政府および前述の「オオカミ補償基金」によって補償されている[1]。

アリゾナ州とニューメキシコ州

メキシコオオカミ Canis lupus baileyi
メキシコオオカミ(メキシコハイイロオオカミ)は、アリゾナ州・ニューメキシコ州・テキサス州およびメキシコに分布していた。かつては懸賞金が掛けられるなど駆除の対象となっており、1970年代初めにはほぼ野生絶滅の状態であった。しかしながら、1976年にアメリカ合衆国で絶滅危惧種に指定され、メキシコオオカミに対する評価が変わった。このような背景の下、メキシコとアメリカ合衆国の間で保護繁殖に関する2国間協定が結ばれた。1977年から1980年にかけて、野生に残っていた全ての個体が捕獲され、既に動物園で飼育されていた個体とともに繁殖プログラムが開始された。一方、1982年には野生回復計画が作成され、少なくとも100個体のメキシコオオカミの自立した野生個体群を作り上げることが目標になった。

1980年代を通して再導入の準備が続けられ、最終的な環境影響評価書が完成したのは1996年である。この時、東アリゾナのアパッチ国有林と西ニューメキシコのヒラ国有林が再導入に適切な地域として選定された(二つの国有林を総称して'Blue Range Wolf Recovery Area'という)。また、北ロッキー山脈地域と同様に、再導入されるオオカミは「実験的個体群」と規定された。

1998年3月29日、11頭のメキシコオオカミが Blue Range Wolf Recovery Areaに放された。その後も再導入が続けられており、2010年にはこの地域で50頭のメキシコオオカミの生息が確認されている[6]。さまざまな要因で計画通りに回復が進んでおらず(当初計画では2006年に100頭を達成する目標だった)、2010年から手続きの見直しが行われた。 現在、繁殖プログラムによって動物園や保護施設で飼育されているメキシコオオカミは300頭以上である。

中央ヨーロッパと西ヨーロッパ
オオカミが絶滅したと考えられるいくつかの地域で、再導入が検討されている。デンマーク[7]、ドイツ、イタリア、およびスコットランドなどのヨーロッパ各国の非政府組織は[8]、田舎の森林地帯に再導入することを提唱している。提案者達は「再導入は観光や生物多様性に利益がある」と主張するが、一方で再導入による家畜の損失を恐れる意見がある。いくつかの国では非政府組織から、アメリカ合衆国で実施されているのと同様の補償が提案されている[9]。

日本
日本ではエゾオオカミやニホンオオカミが生息していたが、両種とも明治時代に絶滅した。他方で、昭和時代末期より山間部においてはニホンジカやイノシシなどによる農作物や樹皮の食害などの獣害が恒常的な問題となっている。

大分県豊後大野市が害獣駆除を目的として、オオカミの再導入を提案しており、遺伝的にニホンオオカミに近いとされるハイイロオオカミが候補に挙がっている。猟友会会員の高齢化・会員数減少が進む中での有害鳥獣の駆除効果が期待される反面、マングースのように生態系に悪影響を及ぼしたり、オオカミが家畜や人間などを襲ったりする危険性も指摘されている[10][11]。

日本へのオオカミ再導入を目指す日本オオカミ協会は、元来日本に生息していたニホンオオカミはハイイロオオカミの一亜種にすぎないため、ハイイロオオカミの導入はマングースなど外来種の例とは異なり、生態系への悪影響は全く考えられないと主張している。むしろニホンオオカミ絶滅によって頂点が空位となった現在の日本の生態系こそが極めて異常な状態なのだとしている[12]。

日本においてオオカミは特定動物指定を受けており、現行法ではオオカミを許可なく扱うことはできない。

脚注
^ 外部リンク「日本オオカミ協会」ではニホンオオカミの代わりの導入を提唱しているが、学術的には北海道において遺伝子レベルでほぼ同一のエゾオオカミの代わりとしての導入が研究されており、その賛否には両論がある。 それに関連する論文は、知床博物館研究報告 - 米田政明「知床に再導入したオオカミを管理できるか」(知床博物館) (PDF) (参考資料)や外部リンク「Wolf Network JAPAN」の了承済要約文 を参照。
参考資料
^ a b c d Defenders of Wildlife (2006), "A Yellowstone Chronology."
^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局「北ロッキー山脈オオカミの回復計画」(1987年) (PDF) (英語)
^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局「絶滅危惧種法」(1973年) pp.34-35 第10節 例外規定(j)実験的個体群 (PDF) (英語)
^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局 "Rocky Mountain Wolf Recovery 2009 Interagency Annual Report"(2010年)(英語)
^ "Lessons from the Wolf -- Bringing the top predator back to Yellowstone has triggered a cascade of unanticipated changes in the park's ecosystem"(2006)
^ Mexican Wolf Blue Range Reintroduction Project Statistics (PDF) (英語)
^ デンマークのオオカミは19世紀に絶滅したと考えられているが、2017年に小規模な群が発見された。「19世紀初頭に絶滅したオオカミ、2世紀ぶりに発見 デンマーク」フランス通信社(AFP)2017年5月5日。
^ Wild wolves "good for ecosystems"
^ "Wolf Trust: understanding of wolves & natural heritage of Scottish Highlands."
^ 有害獣駆除 オオカミにお願い 豊後大野市が輸入構想 - 西日本新聞、2010年10月29日
^ 毎日新聞 毎日jp 2011年1月15日【オオカミ:害獣除去の切り札に 大分・豊後大野市が構想】
^ 一般社団法人日本オオカミ協会
関連項目
トキ - 日本国内で絶滅した種を再導入した例
コウノトリ - 同上
野生動物管理(ワイルドライフ・マネジメント)
外部リンク
本記事のアメリカ合衆国の例について
中国新聞記事「害獣対策 オオカミ浮上」
BBC: Wild wolves 'good for ecosystems'
アメリカ合衆国・魚類野生生物局
アメリカ合衆国・魚類野生生物局 北ロッキー山脈のハイイロオオカミ(英語)
アメリカ合衆国・魚類野生生物局 メキシコハイイロオオカミ回復計画(英語)
日本国内への再導入について
【積極導入意見】

日本オオカミ協会
3つの提言 « 一般社団法人日本オオカミ協会
【慎重意見】

Wolf Network JAPAN
再導入のガイドライン - 絶滅種の再導入に関する国際自然保護連合の指針(和訳)
エッセー「オオカミ問題ふたたび」『平成25年度 年報』 (PDF) - 兵庫県森林動物研究センター、研究統括監林良博、2014年8月。
知床博物館研究報告 - 米田政明「知床に再導入したオオカミを管理できるか」(知床博物館) (PDF) (参考資料)

カテゴリ: オオカミ生物多様性イエローストーン生物種別の保護
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オオカミの再導入
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イエローストーン国立公園のオオカミ(ハイイロオオカミ)Canis lupus occidentalis
追跡調査用に電波発信機つきの首輪をつけている
オオカミの再導入(オオカミのさいどうにゅう)とは、オオカミが絶滅した地域に、人間がオオカミの群れを再び作り上げることである。オオカミにとって適した自然環境が広い範囲で残っており、同時に獲物となる生物が十分にいる地域である場合に限って検討される。以下、この記事中では単に「再導入」と表記する。


目次
1 概要
2 イエローストーンとアイダホ州
2.1 オオカミの絶滅から再導入の提案まで
2.2 準備期間
2.3 再導入直前の民事訴訟
2.4 再導入とその後の経過
3 アリゾナ州とニューメキシコ州
4 中央ヨーロッパと西ヨーロッパ
5 日本
6 脚注
7 参考資料
8 関連項目
9 外部リンク
概要

イエローストーン国立公園の位置
アメリカ合衆国のロッキー山脈の北部に位置するイエローストーン国立公園(ワイオミング州)とアイダホ州では、約30年間の計画の見直しと関係者の話し合いを行った後、オオカミの再導入を行い、オオカミの群れを回復することに成功した。アメリカ合衆国の別の2-3の地域やヨーロッパの国々でも、再導入は検討され続けている。過去の例でも現在検討中のものでも、対象地域の人々は、家畜の敵である肉食動物(捕食者)の再導入に、反対することが多い。しかしながら、欧米では、オオカミや他の捕食者への見方は、過去のもの(狼に関する文化を参照)から変わってきている。つまり、捕食者が生態系に存在することで環境が維持されることに対して、理解を示すようになってきている。再導入を成功させた2つの地域では、この理解の広がったことが、再導入を開始するために最も重要であった。 アリゾナ州とニューメキシコ州でも、北部とは別の亜種・メキシコオオカミの再導入が1998年から始まっている。

日本においても再導入を提唱する人々がいる。生息域の確保の問題、人間と接触する可能性などが指摘されており、2017年時点では多数意見ではない[* 1]。

イエローストーンとアイダホ州

ワピチ(アメリカアカシカ・北米名エルク)Cervus canadensis
イエローストーン国立公園とアイダホ州で再導入が開始されたのは1995年である。

オオカミの絶滅から再導入の提案まで
イエローストーン国立公園で野生のオオカミが殺された最後の公式記録は1926年であった。その後、オオカミの獲物となっていたワピチ(アメリカアカシカ Cervus canadensis)や他の動物が増加し、その結果、植生に被害が出た。オオカミが果たしていた捕食者としての役割の一部はコヨーテが果たすことになったが、成獣のワピチはコヨーテの捕食対象にはならない。またオオカミと並びイエローストーンの生態系の頂点を成していたハイイログマは雑食性であり、ワピチを捕食する割合は低く、いずれもワピチの増加を制御できなかった。さらには、コヨーテの個体数が増加したことによって、コヨーテより小さな動物、特にアカギツネが減少してしまった。1978年に生物学者ジョン・ウィーバーはイエローストーンのオオカミは絶滅したと結論した[1][2]。

地元牧場主たちと環境保護団体は、再導入について何年も討論を続けてきた。生物学者によって再導入のアイデアが議会に最初に提出されたのは1966年である。それらの生物学者は、イエローストーンのワピチが危機的状況まで増加していると心配していた。しかしながら、牧場主たちは、家畜が襲われることの問題をオオカミを疫病に喩えて、再導入に強く反対した。

準備期間
合衆国政府は、妥協案の作成・条件整備・実行について責任を負い、妥協点を探し出すのに約20年間をかけて努力を続けた。1974年にオオカミ回復チームが任命され、1982年には意見を集めるために最初の公式の回復計画(Recovery Plan)を公表した。オオカミ再導入に対する一般的な不安があったため、州政府および地方政府の判断を加えやすくするように、魚類野生生物局は計画を変更した。そのようにして、意見を集めるための2番目の回復計画が1985年に公表された。同じ年に行われたイエローストーン国立公園の訪問者へのアンケートでは、74%の人がオオカミが公園の改善に必要かもしれないと回答し、60%の人が再導入に賛成した。再導入に承認を与える前の最終段階として、実施した場合の影響の事前評価(環境アセスメント)があった。連邦議会は、環境アセスメントへの支出をする前に更に研究が必要であるとして、計画を差し止めた。

1987年に牧場主たちは、再導入提案者に経済的負担に対する補償を要求した。それに対してDefenders of Wildlife(アメリカ合衆国の自然保護団体)は、オオカミによる被害で失われる家畜の市場価格を牧場主たちに補償するために、「オオカミ補償基金」を準備した。その同じ年、最終的な回復計画が発表された。その後、研究・公的な教育・意見募集を行い、公開検討を加えるために1993年に環境影響評価書(環境アセスメントの結果報告書:Environmental Impact Statement)の草稿が発表された。この環境影響評価書には15万以上の意見が寄せられ、1994年5月に成立した。

元の計画には3つの回復地域(イエローストーン国立公園含むワイオミング州・アイダホ州・モンタナ州)が含まれていたが、モンタナ州は北西部に小さいながら繁殖している群れが確認されたので回復地域から外された。現在は再導入されたオオカミ群はモンタナ州とも往来しているため、モンタナを含む3州が回復地域として設定され、モニタリングされている。回復地域に再導入されるオオカミは、絶滅危惧種法に規定する「実験的な個体群」分類[3]に区分されている。


再導入のために箱に入れられて運ばれるオオカミ(1995年1月)

オオカミ再導入地域
■ハイイロオオカミ
■メキシコオオカミ
再導入直前の民事訴訟
1994年の後半の2つの民事訴訟によって、回復計画は危機にさらされた。1つはワイオミング州農業局連盟(Farm Bureau)による提訴[1]であったが、1995年1月3日に棄却。もう片方は環境保護団体の連合体による提訴であった。内容は未確認の目撃情報を元に、北側からイエローストーンにオオカミが既に移住している証拠があり、同じ地域に実験的な群れを再導入するのは既存のオオカミにとって脅威となると主張していたが、訴えは退けられた。これらの訴訟があったものの再導入の障害とはなっておらず、1995年1月から再導入が開始された。

再導入とその後の経過
1995年1月連邦政府は、カナダアルバータ州から野生のオオカミの輸送を始めた。しかしながら、1月9日にFarm Bureauから差し止め請求があったため、それが同年3月19日に棄却されるまでオオカミを放すことができなかった。そして3月21日、オオカミの檻の扉は開けられた[1]。また1996年1月にも追加のオオカミが放された。再導入されたオオカミは順調に増え、2009年末にはアイダホ州、ワイオミング州、モンタナ州の3州の個体数は約1700頭になり、そのうちイエローストーン国立公園には約100頭が生息している[4]。この頭数は、当初の計画が予定していたものを上回って推移している。現在、「十分に個体数が回復したので絶滅危惧種法の対象から外すべきだ」という議論が起きている。2009年に一度外されて狩猟が解禁されたものの、「同法の対象からまだ外すべきではない」という訴訟が起こり、2010年8月の判決によって再び絶滅危惧種法の保護対象となり狩猟禁止に戻った。

イエローストーン国立公園では、再導入によって生物多様性が増えたことが報告されている[5]。それはワピチの個体数の減少によって植生が増えたためであると考えられ、アカギツネや公園内では絶滅状態であったビーバーの個体数の増加が観察された。この動物相の変化は、オオカミがコヨーテの個体数を制御しているためであろうと考えられる。なお再導入後に、オオカミが家畜を襲う事件と、人がオオカミを殺傷する事件が起きるようになった。家畜被害のうちオオカミによることが確認されたものについては、政府および前述の「オオカミ補償基金」によって補償されている[1]。

アリゾナ州とニューメキシコ州

メキシコオオカミ Canis lupus baileyi
メキシコオオカミ(メキシコハイイロオオカミ)は、アリゾナ州・ニューメキシコ州・テキサス州およびメキシコに分布していた。かつては懸賞金が掛けられるなど駆除の対象となっており、1970年代初めにはほぼ野生絶滅の状態であった。しかしながら、1976年にアメリカ合衆国で絶滅危惧種に指定され、メキシコオオカミに対する評価が変わった。このような背景の下、メキシコとアメリカ合衆国の間で保護繁殖に関する2国間協定が結ばれた。1977年から1980年にかけて、野生に残っていた全ての個体が捕獲され、既に動物園で飼育されていた個体とともに繁殖プログラムが開始された。一方、1982年には野生回復計画が作成され、少なくとも100個体のメキシコオオカミの自立した野生個体群を作り上げることが目標になった。

1980年代を通して再導入の準備が続けられ、最終的な環境影響評価書が完成したのは1996年である。この時、東アリゾナのアパッチ国有林と西ニューメキシコのヒラ国有林が再導入に適切な地域として選定された(二つの国有林を総称して'Blue Range Wolf Recovery Area'という)。また、北ロッキー山脈地域と同様に、再導入されるオオカミは「実験的個体群」と規定された。

1998年3月29日、11頭のメキシコオオカミが Blue Range Wolf Recovery Areaに放された。その後も再導入が続けられており、2010年にはこの地域で50頭のメキシコオオカミの生息が確認されている[6]。さまざまな要因で計画通りに回復が進んでおらず(当初計画では2006年に100頭を達成する目標だった)、2010年から手続きの見直しが行われた。 現在、繁殖プログラムによって動物園や保護施設で飼育されているメキシコオオカミは300頭以上である。

中央ヨーロッパと西ヨーロッパ
オオカミが絶滅したと考えられるいくつかの地域で、再導入が検討されている。デンマーク[7]、ドイツ、イタリア、およびスコットランドなどのヨーロッパ各国の非政府組織は[8]、田舎の森林地帯に再導入することを提唱している。提案者達は「再導入は観光や生物多様性に利益がある」と主張するが、一方で再導入による家畜の損失を恐れる意見がある。いくつかの国では非政府組織から、アメリカ合衆国で実施されているのと同様の補償が提案されている[9]。

日本
日本ではエゾオオカミやニホンオオカミが生息していたが、両種とも明治時代に絶滅した。他方で、昭和時代末期より山間部においてはニホンジカやイノシシなどによる農作物や樹皮の食害などの獣害が恒常的な問題となっている。

大分県豊後大野市が害獣駆除を目的として、オオカミの再導入を提案しており、遺伝的にニホンオオカミに近いとされるハイイロオオカミが候補に挙がっている。猟友会会員の高齢化・会員数減少が進む中での有害鳥獣の駆除効果が期待される反面、マングースのように生態系に悪影響を及ぼしたり、オオカミが家畜や人間などを襲ったりする危険性も指摘されている[10][11]。

日本へのオオカミ再導入を目指す日本オオカミ協会は、元来日本に生息していたニホンオオカミはハイイロオオカミの一亜種にすぎないため、ハイイロオオカミの導入はマングースなど外来種の例とは異なり、生態系への悪影響は全く考えられないと主張している。むしろニホンオオカミ絶滅によって頂点が空位となった現在の日本の生態系こそが極めて異常な状態なのだとしている[12]。

日本においてオオカミは特定動物指定を受けており、現行法ではオオカミを許可なく扱うことはできない。

脚注
^ 外部リンク「日本オオカミ協会」ではニホンオオカミの代わりの導入を提唱しているが、学術的には北海道において遺伝子レベルでほぼ同一のエゾオオカミの代わりとしての導入が研究されており、その賛否には両論がある。 それに関連する論文は、知床博物館研究報告 - 米田政明「知床に再導入したオオカミを管理できるか」(知床博物館) (PDF) (参考資料)や外部リンク「Wolf Network JAPAN」の了承済要約文 を参照。
参考資料
^ a b c d Defenders of Wildlife (2006), "A Yellowstone Chronology."
^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局「北ロッキー山脈オオカミの回復計画」(1987年) (PDF) (英語)
^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局「絶滅危惧種法」(1973年) pp.34-35 第10節 例外規定(j)実験的個体群 (PDF) (英語)
^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局 "Rocky Mountain Wolf Recovery 2009 Interagency Annual Report"(2010年)(英語)
^ "Lessons from the Wolf -- Bringing the top predator back to Yellowstone has triggered a cascade of unanticipated changes in the park's ecosystem"(2006)
^ Mexican Wolf Blue Range Reintroduction Project Statistics (PDF) (英語)
^ デンマークのオオカミは19世紀に絶滅したと考えられているが、2017年に小規模な群が発見された。「19世紀初頭に絶滅したオオカミ、2世紀ぶりに発見 デンマーク」フランス通信社(AFP)2017年5月5日。
^ Wild wolves "good for ecosystems"
^ "Wolf Trust: understanding of wolves & natural heritage of Scottish Highlands."
^ 有害獣駆除 オオカミにお願い 豊後大野市が輸入構想 - 西日本新聞、2010年10月29日
^ 毎日新聞 毎日jp 2011年1月15日【オオカミ:害獣除去の切り札に 大分・豊後大野市が構想】
^ 一般社団法人日本オオカミ協会
関連項目
トキ - 日本国内で絶滅した種を再導入した例
コウノトリ - 同上
野生動物管理(ワイルドライフ・マネジメント)
外部リンク
本記事のアメリカ合衆国の例について
中国新聞記事「害獣対策 オオカミ浮上」
BBC: Wild wolves 'good for ecosystems'
アメリカ合衆国・魚類野生生物局
アメリカ合衆国・魚類野生生物局 北ロッキー山脈のハイイロオオカミ(英語)
アメリカ合衆国・魚類野生生物局 メキシコハイイロオオカミ回復計画(英語)
日本国内への再導入について
【積極導入意見】

日本オオカミ協会
3つの提言 « 一般社団法人日本オオカミ協会
【慎重意見】

Wolf Network JAPAN
再導入のガイドライン - 絶滅種の再導入に関する国際自然保護連合の指針(和訳)
エッセー「オオカミ問題ふたたび」『平成25年度 年報』 (PDF) - 兵庫県森林動物研究センター、研究統括監林良博、2014年8月。
知床博物館研究報告 - 米田政明「知床に再導入したオオカミを管理できるか」(知床博物館) (PDF) (参考資料)

カテゴリ: オオカミ生物多様性イエローストーン生物種別の保護
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最終更新 2018年6月1日 (金) 07:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

オオカミの再導入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
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イエローストーン国立公園のオオカミ(ハイイロオオカミ)Canis lupus occidentalis
追跡調査用に電波発信機つきの首輪をつけている

オオカミの再導入(オオカミのさいどうにゅう)とは、オオカミ絶滅した地域に、人間がオオカミの群れを再び作り上げることである。オオカミにとって適した自然環境が広い範囲で残っ

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